パラリンピック特集~国枝慎吾「俺は最強だ」

皆さんはご存知でしょうか?

最高世界ランク4位、男子シングルスではアジア人で
唯一グランドスラム4大大会で決勝進出を果たし、
リオ五輪でも銅メダルを獲得した錦織圭選手よりも
活躍している伝説のテニスプレイヤーが日本には
いることを。

それが車いすテニスの国枝慎吾選手です!

主な実績を挙げると
・2004年 アテネ五輪 ダブルス金メダル
・2006年 世界ランク1位達成
・2007年 男子シングルス史上初となるグランドスラム
      (全豪オープン、ジャパンオープン、ブリティッシュオープン、
       全米ウィールチェアの4大会を制覇)を達成
・2008年 北京五輪 男子シングルス金メダル獲得
・2009年 日本の車いすテニス選手としては初めてプロ選手に転向。
       ダンロップと用品使用契約を締結。
       同年8月、ユニクロと所属契約(2年契約)を結んだ。
       競技用のウエアの提供も受ける。
・2010年 ローレウス世界スポーツ賞の年間最優秀障害者選手に。
       同年9月、車椅子テニス初のシングルス100連勝を達成。
・2015年 全豪オープンではシングルス3連覇8回目の優勝、
       ダブルスは3連覇9回目の優勝。
       2015年全仏オープンではシングルス2連覇6回目の優勝、
       ダブルスは2年ぶり6回目の優勝。特にダブルスは自身初の
       グランドスラム4大大会連続優勝
       (Non-calendar Year Glandslam)を果たす。
       2015年全米オープンではシングルス2連覇6回目の優勝。

グランドスラム車いす部門で、男子世界歴代最多となる計40回
(シングルス20回・ダブルス20回)優勝の記録保持者。

等々挙げたらキリのないほどの実績を残しています!

日本一どころか世界一の選手として君臨し続けています。

男子テニス界において「皇帝」と称されたロジャー・フェデラーも
国枝選手のことを絶賛しており、
「自分よりの先にクニエダが先にグランドスラムを達成するだろう」
と予言したり(実際にその後達成)、
「日本人からトップテニスプレイヤーがなぜ生まれないと思いますか?」
という日本人記者の質問に対して
「何を言っている!日本にはクニエダがいるではないか!」
と反論するエピソードもあります。

では、実際国枝選手はどんな選手なのでしょうか?
これから探っていきましょう!

生い立ち

国枝選手は1984年2月21日千葉県で生まれました。

野球少年として元気に生活をしていましたが、
9歳の時に腰に違和感を覚えました。

日に日に痛みが増していき、
精密検査をとしたところ、脊髄に腫瘍が見つかりました。

手術の前日にはとうとう足が動かなくないました。

当時について国枝選手は、
「両親に不幸を嘆いた記憶はない。そのまま一生、車いす生活になるという意識がなかったのかも」
と振り返っています。

この時から車いす生活が始めり、
11歳の時、近くにテニスセンターがあったことを
機にテニスを始めました。

その頃は、バスケットボールに熱中していて、障害のない友人たちとプレーしていた。
バスケのおかげで磨かれた車いすの操作技術がテニスコートでも武器になり、
テニスの腕前が素晴らしい速度で向上していきました。

二つの出会い

国枝選手には人生を変えた二つの出会いがあります。

1人目は、今も二人三脚で共に戦っている丸山弘道コーチです。

丸山コーチと出会ったのは国枝選手が17歳の時でした。
当時、丸山コーチは日本代表の斎田悟司選手や山倉昭男選手を指導しており、
ヘッドコーチから面白い選手がいると国枝選手を紹介されても
忙しくて見ていられないと指導断りました。

そんなあるとき、ふとコートを見ると、躍動感あふれる車いすさばきを
見せていた国枝選手を目にします。

海外で世界トップ選手のレベルを知っていた丸山コーチは
一目見て国枝選手が世界で戦える選手であることを
直感し、いきなり個人レクチャーを始めるようになりました。

その後、丸山コーチとともに海外を転戦し、
着々と実力を高めていき、
2004年のアテネ五輪では斎田選手とダブルスを組み、
見事に金メダルを獲得しました!

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もう一人は、オーストラリア人のメンタルトレーナー
アン・クインです。

2006年の全豪オープンに出場したとき、
クインに「世界一の選手になれると思うか?」と、
国枝選手は問われ、「なりたい」と答えたところ、
「これからは、世界一になりたいではなく、世界一なんだと言い切る練習をしなさい」と
指導を受けました。

クインから選手用レストランで「俺は世界最強だ!」と叫ぶように指導されました。
恥ずかしかったですが、大声で叫ぶまでクインは許してくれそうもありません。
仕方なく、叫び、毎朝鏡の前でも叫ぶように指導をされました。

これを続けていくうちに、弱気な自分が消えていくのが
わかったらしいです。
プラス思考の好循環によってメンタルも必要とされる
サーブもどんどん強化されていきました!

その年のジャパンオープンで初優勝を果たし、
初めて世界ランク1位にも輝きました。

だが、世界1位が指定席になると、燃え尽き症候群になりかました。
それまでは自分より強い選手を目標としていました。
それがなくなった途端「テニスがつまらない」と思う日々が3カ月ほど続いた。

スランプから抜け出せたのは発想の転換でした。
「米国での試合中に突然、対戦相手ではなく、内なる自分との戦いに目覚めた」。
まだ自分は未熟なんだ、もっと強くなれる。そう思うことで、練習でも1球打つごとに喜びを感じるようになりました。

「精神面で殻を破った瞬間だったと思う。いま、毎日の練習を100%の集中力でやり抜けるところがシンゴの強さです」。
クインはウィンブルドンで活躍する国枝を見ながらそう話しました。

 

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日本初のプロ車いすテニスプレイヤーに!

北京パラリンピックでシングルスで金メダル獲得後、
メディアへの露出が一気に増えました。

車いすテニス界を変えるために、尊敬するフェデラーや日本男子のエース、錦織圭が所属する大手マネジメント会社IMGに
プレゼン資料をつくって売り込み、スポンサー契約にこぎつけました。

そして、2009年春、日本の車いすテニス界で初のプロ宣言をしました!

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いま、個人スポンサーは7社にものぼります。
自分の価値を信じ、それを売り込むプレゼン力がメンタルトレーニングを通じて
国枝の選手には備わっていました。

「世間の目が僕に向いているうちにプロとして活躍することで、僕の後に続く世代に道ができる」
という熱い想いのもとプロ活動を行い、圧倒的な強さで車いすテニス界に君臨しました。

「オレは最強だ」。いまもラケットやマウスピースに、そう書いてあります。
世界一に導いてくれた魔法の言葉は常に目の届くところに
おいてあることから、クインとの出会いがスポーツだけでなく
ビジネスの場面でも生きていることがよくわかります。

逆境をはねのけるリオ五輪へ

2016年8月現在、国枝選手の世界ランクは、シングルスが8位、ダブルスが14位となっています。

これは、長年戦い続けている右ひじの痛みが悪化し、
四月に手術を行い、満足に試合ができていないからです。

ロンドン五輪前もコップを満足に持つことができない
という状態からコンディションを整えて見事金メダルを
獲得していますが、今回はロンドンよりさらに
短い期間で調整をしなければならなくなりました。

今までも、障害や世界の高い壁を乗り越え、障害者スポーツの在り方を
変えてきてくれた国枝選手。

その姿からは障害者の方々だけでなく、障害のない我々も
大いに勇気を与えてもらいました。

今回は私たちが日本からエールを送り、
強大なライバルたちと戦う国枝選手を勇気づけましょう!!

きっと今までのように逆境を力に変えて
堂々と「やっぱり俺は最強だ!」と言ってくれるはずです!

大注目の国枝選手から目が離せません!!!

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